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40歳を過ぎると分かる温かさ!たまには幼なじみに連絡をしてみませんか?

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「幼なじみ」という言葉には、なんだか甘酸っぱい響きがありますよね。

 

ただし、それは10代20代くらいまでのこと。酸いも甘いも噛み分けた40代にとっては、そこにあるのは甘酸っぱい思いというよりは、我が家のような温かさだったりします。

 

先日、30年ぶりくらい(!)に2人の幼なじみと地元で偶然に再会しました。1人は生まれたころからの正真正銘幼なじみの同級生男子。もう1人はお兄ちゃんのような存在だった2つ年上の男子です。今はもう2人とも男子というよりおじさんですね。私ももうおばさんなのでお互いさまですけれど。それでも、30年というあまりにも長い空白期間をはさんでいるにもかかわらず、一瞬で誰だか分かるあたりが、幼なじみという存在のすごさだとしみじみと感じました。

 

若いときにあった幼なじみとの距離感は40代で消えた!

もし20代・30代のときに再会していたら、自分を取り繕ろうと変なプライドが邪魔をしてしまったんじゃないかと思います。

 

「子供のころの自分とはもう違うんだ」「私は私で、別の世界で生きてるんだ」そんな気持ちで幼なじみたちとは距離をとっていた20代。地元を離れて生活するようになっていたので、地元組とは環境もライフスタイルも違うものになってしまい、さらに30代になると独身で気ままに生きている私と、結婚して子供がいる友人たちとのギャップは広がるばかり。

 

ところが、40代になると、いったん広がったギャップがまた埋まってきたことを感じます。昔から知ってるからこそ格好悪い姿を見せたくないと思って作っていた心の壁が、気づいたらまったく存在しなかったというようなかんじです。

 

なんとなくですが、40代というのは、結婚して子供がいる人にとっても夫婦関係や子育てがある程度落ち着きだすころだし、私のように独身を貫いている人にとってもギラギラした人間関係を追い求めるのに疲れて落ち着いた環境を求めているころだからというのもあるかもしれません(ただ、40代でもギラギラと精力的な人もいると思うので、それはまた別の話かもしれませんが!)。

 

それもあって、結婚しているとかしていないとか、子供がいるとかいないとか、自由を謳歌しているとかしていないとか、そういう表面的な属性とは一歩離れて相手を見ることができるようになるのが40代という特性なのでしょうね。

 

幼なじみの前では素の自分でいられる

ここで「40代」×「幼なじみ」という魔法が起こります。お互いの属性を探ることにギラギラしなくなった40代というお年頃に、人生で一番「自分が特別な何物でもなかった時代」を知っている(というか、それしか知らない)幼なじみというポジションが合わさることで、今の自分の「素」をさらけ出すことが怖くなくなるのです。

 

顔を合わせることがなかった30年間はある意味お互いにとって空白なわけですが、それが空白だからこそ都合がよかったのです。実際は、当然その30年間いろいろありました。相手もいろいろあったはずです。酸いも甘いも経験しつくした30年間と言っても過言ではありません。それでも、あえてどこで何をしていたのかとか、今どういうポジションにいるのかとか、そういうことはまったく関係なしに、子供のころのように「素」のままの自分を受け入れることができてしまうのが幼なじみの強みなんです。そういう意味では家族も同様ですが、家族と一番違うところはあくまで「他人」である分、お互いのありのままを受け入れやすいというのはあるかもしれません。

 

たとえば「私、まだ結婚しないでフラフラしてんだよね...」とか言っても、「しょーがねーなあ(笑)」と笑って済ませてくれたり、「そっかあ、じゃあもし何か困ったことがあったら、いつでも100円で相談のってやるからな(笑)」なんて子供じみた照れくさい言葉をかけてくれたり。「こういう理由で結婚しないんだよね」とか、そういう御託を並べて言い訳する必要がまったくないんです。相手はもともと小さいころの「何物でもない私」しか知らないので、今の自分を正当化するために、必要以上の飾りつけで取り繕ったり、何か立派な人であるかのように振る舞う必要が全然ないんです。

 

付かず離れずの距離感がいい

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小さいころは当然幼なじみ=友達なんですが、40代にもなると幼なじみと友達って、もはや別物だと思うのです。

 

友達だと逆に気を遣って言えないことや相談できないことってありませんか?それが幼なじみにだったら言えてしまったりするんですよね。

 

これは距離感の違いではないでしょうか。友達のように頻繁に連絡しあうのではなく、ふと思い立ったときに「帰る場所」のようにそこにいる。何年も会わなくたって、そこにいるのを知っている。そんな存在です。

 

だから、逆に久しぶりに幼なじみと再会したとしても、友達とは別のある一定の距離感を持って関係性を続けていくのが一番いいような気がします。そして、それでも「幼なじみ」という地位をキープし続けられるのが友達との違いでしょう。その距離感のおかげで、かえって気を遣うことなく、他の人にはできない話がサラッとできたりするんです。

 

今の人間関係に疲れたら、幼なじみの存在を思い出して連絡してみては?

大人になってからできた人間関係の中では、どうしても「自分はこう見られたい」という理想を持ってしまいます。そして、それに従って振る舞おうとするので、「こんな風に思われないようにしよう」「嫌われないようにしよう」「失敗しないようにしよう」「ちゃんとしよう」などがたくさん積み重なって、最後には素の自分が分からなくなってしまいます。

 

ところが、40代になって幼なじみを目の前にすると、単純に30年ほど時間がタイムスリップする感じになります。投げやりな意味ではなく「どう見られようが構わない」になるんです。だって、あの頃もそうだったんですから。子供のころのアホさも、いい加減さも、くだらなさも、責任感のなさも、全部知られているんです。そして逆に、ときには何の見返りもないのに守ってくれたり、面倒を見てくれたり、かばってくれたりしてくれていたんです。それをお互いにやっていた存在なんですよね、幼なじみって。

 

大人になってから築いた人間関係に少し疲れたら、原点回帰じゃないけれど、たまには幼なじみの声を聞いてみるというのはオススメですよ!

 

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